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 昭和35年版 犯罪白書 第一編/第一章/一/2 

2 刑法犯の推移

(一) 戦前からの推移

(1) 概観

 最初に,戦前からの犯罪現象の動きについて概観するため,刑法犯の発生,検挙関係の統計と,刑法犯一審有罪人員と,起訴猶予人員と刑法犯一審有罪人員から単純賭博を除いた統計の表(付録統計表-1)およびこれらについてグラフを作成した(I-1図2図3図4図)。一審有罪人員から単純賭博を除いた統計を作成したのは,戦前と戦後とではそのしめる役割がまったく異なっているためである。戦前の一審有罪人員の統計においては,単純賭博のしめる役割がきわめて大きく,昭和初年においては,全有罪人員の半数前後をしめている。単純賭博も,旧刑法以来刑法犯ではあるが,いわゆる破廉恥罪ではなく軽微な罰金に処せられるものが大部分で,社会の治安とも直接関係はないため,国民一般もさまでこれを罪悪視していなかった。しかも,戦後政府の賭博類似行為に対する政策は一変した。戦前までは,賭博類似行為は競馬の場合に限定されたが,戦後は,競輪,モーターボート,オートバイなどの競争の場合に拡大され,パチンコその他において相当まとまった価格の賞品をだすことが公認されるとともに,公的機関から多数の富くじが発売されるようになった。他方,このような政策と関係があるか否かは別として,戦後,賭博の検挙件数は減少し,とくに,最近は激減した結果,その一審有罪人員も激減している。したがって,純粋に刑法犯的なものを中心として,戦前と戦後の犯罪現象について比較するためには,むしろ,単純賭博を除外して考えるのが相当であろう。

I-1図 刑法犯発生・検挙件数と検挙人員

I-2図 刑法犯発生率および一審有罪と起訴猶予人員の合計の率

I-3図 刑法犯一審有罪人員の率

I-4図 単純賭博を除いた刑法犯一審有罪人員の率と製造工業労務者一人あたり実質賃金指数

 戦前から戦後を通じての国民の生活状態を示す統計としては,実質国民所得と実質賃金に関するものがある。前者は,国民全体の所得の状態を知るには便利であるが,一人あたり平均の統計は,富有者の所得をも加えたものの平均である。したがって,犯罪との関係について考察するために,経済的に恵まれない階層の者の生活状態をみるには,労務者の実質賃金の統計がすぐれている。そのような見地から,I-4図には製造工業労務者の一人あたり実質賃金の指数の曲線を加えた。
 これらの統計とグラフのうち,まず発生件数の統計によれば,昭和四年前後から全般的に犯罪は増加して,犯罪曲線は上昇し,昭和八,九,一〇年の山をなし,昭和一一年から下降線をとり,その後一時的な高低はあるが,ほぼ一直線に下降して,昭和二〇年の谷に達している。戦後は昭和二一年から急激に上昇し,昭和二三,二四年の山をつくったが,昭和二五年以降下降線をとって昭和二八年にいたり,昭和三〇年から明らかな上昇に転じている。そして,検挙件数は,戦前はほとんど発生の線とすれすれになっていたが,戦時中から両者間にひらきを生じ,戦後は大きな間隔となり,その後ある程度は回復したが,戦前の状態には復していない。
 つぎに,人口の変動の条件を考慮して,発生件数の人口に対する率によるグラフ(I-2図)をみると,戦前の昭和八,九年の山と戦後の昭和二三,二四年の山とでは戦前の山の方がはるかに大きく,しかも,戦後は,その後ほぼ下降線をとっている。したがって,この統計によると,全体としては,戦後は戦前よりも犯罪は減少したこととなる。しかるに,有罪人員の率(I-3図)では戦後の山のほうがはるかに大きく,しかも,最近の増加はいちじるしい。単純賭博を除いた数による曲線では,さらにこの傾向が顕著にあらわれている。したがって,発生の統計と有罪の統計とのいずれに重きをおいて犯罪現象についての判断をすべきかが,まず問題となる。
 犯罪発生件数の統計における暗数が,警察の検挙力の強弱によって影響をうけることは,前記のとおりであるが,戦前と戦後では,この検挙力に大きな相違がある。これをある程度統計的に示しているのは,検挙率の統計である。昭和二二年までの検挙率の統計には,前記のとおり水増しがあり,戦前は,その他の水増しも少なくなかったと考えられ,戦前の検挙率の統計は,明らかに高きに失する。しかし,当時の警察は,証拠の収集,被疑者の逮捕,身柄の拘束の継続,事実の追及などのあらゆる面において,事実上強大な権力をもっていたので,犯罪検挙率がきわめて高度であったことは明白である。とくに,昭和九,一〇年は,強い警察力のもっとも大きい部分を司法警察にそそぐことができた時期である。この両年には衆議院議員の総選挙もなく,統制経済もなかったから経済警察もまだ設けられていなかった。したがって,犯罪の暗数はもっとも少なかった時期と考えられる。
 これに反し,終戦直後は,敗戦と占領軍の方針などによって警察力はきわめて弱体となり,検挙力も極度に低下し,昭和二三年ごろまではこれが十分に回復していないので,この間の暗数はきわめて多かったと考えざるを得ない。その後しだいに回復したが,現在でも,戦前の検挙力とは比較にならない。このように,極度に条件の異なる時期の発生件数の統計は,これを比較の資料とすることは適当でない。一審有罪の統計も警察の検挙力の影響をうけるが,間接的であって,このような欠点の少ないところに長所がある。この統計は起訴の寛厳によっても影響をうけるが,昭和初年と戦後とで起訴基準に大きな変更がないとすれば,少なくとも昭和に入ってからの一審有罪の統計は,いちおう,ほぼおなじ基準で処罰に値するとされた犯罪者の数を示すものとみてさしつかえない。したがって,戦後の一審有罪人員が戦前のそれに比し激増しているのは,少なくとも,それだけ処罰に値する犯罪が激増したことを示している。その他,当時検挙率がきわめて不良であったから,他にも処罰に値する犯罪で検挙されないものも多数あったことは推測される。また,これとともに多数の軽微な犯罪も増加したが,警察の検挙力が低下しているため,多くは統計面にとらえることができなかったと考えられる。すなわち,戦後の実際の犯罪の発生件数は,統計に示されたところをはるかに上回っていたと考えられる。その他,戦後でも,終戦直後と最近とでは警察の検挙力に大きな相違があり,しだいに強化される傾向があるので,犯罪現象の推移の考察には,やはり,その影響が比較的少ない有罪統計を中心とするのが相当と考えられる。このような見地から,有罪統計を主とし,警察統計,検察統計などを参考としながら,戦前からの時期を区分して犯罪現象の推移について考察することとする。有罪統計が時間的に実際の犯罪と離れる欠点は,警察統計を参考とすることによっておぎなうことができる。そして,刑法犯全体の傾向をみるのに適した有罪統計としては,刑法犯の合計から単純賭博の有罪人員を除いたものが適当であることは,前記のとおりである。

I-2表 年次別実質賃金指数と実質国民所得

(2) 昭和初年(昭和二-一一年)

 昭和初年は,経済状態,政治的環境などにおいてきわめて変動の多かった時期であった。経済の面においては,第一次世界大戦によってわが国の国民経済は飛躍的に発展したが,戦後はおおむね不況で,昭和二年三月には大規模な金融恐慌に陥った。政府の緊急措置等によっていちおう経済は平静な状態にもどったが,不況を脱することはできず,昭和五年に入ると世界的経済恐慌の波にまきこまれ,翌六年にかけて深刻な打撃をうけた。産業界の各方面において倒産があいつぎ,失業者は増加し,多数の国民が生活困難に陥った。このような資本主義経済の矛盾を根本的に打開することを目的として,共産主義運動はもっとも活発に行なわれた。これに対し,昭和三年三月,同四年四月と大規模な治安維持法違反の一斉検挙が行なわれ,その後も検挙はつづけられた。他方,極右の国家主義者も逆の立場から国家の改造を主張し,その意見は各方面でしだいに勢力をしめた。昭和六年九月,満州で満州事変がおこった。そして,これを契機として,わが国はしだいに軍国主義化し,昭和七年から軍需インフレーション政策がとられるにいたったが,これがいちおう成功して,同年から景気は回復した。その結果,昭和二年から六年までの不況が七年以降好況に転じ,昭和一一年までこれがつづいた。その間,軍部はしだいに国内の政治と経済に支配的な勢力をしめるようになり,昭和一一年二月,二・二六事件がおこると,この事件によって軍部の支配体制が確立された。しかし,昭和一一年までは,まだ,国内のすべては準戦時体制であって,昭和一二年から,はじめて戦時体制に入ったのである。昭和初年は,このような種々の変動のあった時代である。明治初年以来のわが国の犯罪現象の歴史において,昭和初年がもっとも犯罪の増加した時期の一をなしているのには,十分の理由があると考えられる。
 昭和二年から昭和五,六年までのあいだには,経済界の不況が犯罪を増加させる面に作用したと考えられるが,とくに,失業者の増加したことの影響が大きい。わが国と同様,世界的経済恐慌の支配下にあった当時のドイツについて,窃盗の有罪者数と失業者数とのあいだに,失業者数が増加すれば窃盗が増加するという明白な平行関係のあることが,学者によってグラフで明らかにされている。しかし,わが国には完全失業者のほかに,失業したのち一時帰農したり,不完全就業したりしている多数の半失業者または潜在失業者がある。ただ,当時の内務省の統計によっても,完全失業者は昭和五年に二七万,昭和六年に四一万あり,学者によっては,実質的の失業者は二百万をこえると推計していた。したがって,これが犯罪増加の一原因となったと考えられるが,好況とともに,失業者は漸減した。しかるに,昭和初年を前半と後半に分けると,後半のほうが犯罪は増加している。この点の説明はきわめて困難で,今後なお詳細に検討する必要があるが,いちおうの考察の結果としては,この好況は,軍需インフレーション政策と為替相場の下落による輸出の増加によるものであって,物価はしだいに騰貴して,収入の固定した者の生活を困難にし,好況による利得も国民全般に平均しておよんだものではなかった。とくに農村は,昭和六年までの極度の不況によって巨額の債務を負担し,昭和七,八年にはこの負債の圧迫から脱することができず,しかも,昭和九,一〇年には凶作であったため,また,打撃をうけた。とくに被害の大きかった東北地方では,欠食児童,娘の身売りなどの社会問題が広範囲に発生した。他方,一部の好景気に刺激されて,一般社会とくに都会には,一時的の享楽をおう風潮が大きくあらわれ,国民は政治に対する信頼を失い,このような不健全な状態から道義のたい廃する傾向を生じた。その他,このような社会情勢と一般がファッショ的傾向を利用し暴力団はその勢力を拡大した。しかし,これだけでは,昭和八,九,一〇年における発生件数の激増のあまりに顕著である事実の説明は十分にできないので,他の条件についても考えねばならぬ。この点については,当時の警察が一般刑事事件の検挙に,とくに大きな力を注ぐことのできた時期であることを考慮する必要がある。したがって,検挙が強力に行なわれた場合は,前年以前の事件も検挙されてその発生が明らかになり,その年の事件が実際以上に増加する。この関係についてみるために,各年の刑法犯の発生件数のうち,前年以前の事件の事件数を掲げてその全体の事件に対する割合を算出してみると,I-3表のとおりである。昭和六年ごろから前年以前の事件のしめる率は増加して,昭和一〇年には発生の二七パーセントに達している。

I-3表 刑法犯発生件数中の前年以前事件数とその比率

 なお,このように前年以前の事件の増加している年には,その年の事件についても検挙が徹底し暗数の減少している事実を推測することができる。この統計によって,昭和九,一〇年前後と昭和五年以前とでは,司法警察にむけられた警察力に大きな相違のあることが感ぜられる。そして,この点については,昭和三年から昭和七年前後まで,前記のとおり,大規模な左翼の検挙が行なわれ,その検挙と取調とに,大きな警察力が使用されたのを考慮に入れなければならない。その他,昭和二年から七年ごろまでは政争がはげしく,衆議院議員の総選挙のさいには厳重な選挙の取締りが行なわれ,警察官が選挙運動に使用されることもあった。また,選挙後は多数の選挙違反が検挙されたから,これらについやされた警察力も軽視できない。したがって,衆議院の総選挙の行なわれた昭和二年三月,同五年二月,同七年二月と,その前後には,一般の犯罪の検挙能力は低下していたと考えられる。そして,このように一般の刑事事件の検挙の強化されたことは,とくに財産犯罪に顕著にあらわれているのであって,この点は次項で説明する。また,後半期には,発生の増加したほどには有罪人員は増加せず,起訴猶予の増加率のほうがはるかに高いのであって,この事実から,当時,検挙の強化によって,起訴に値しない軽微な事件までが多数検挙されていたと考えることができる。

(3) 戦時中(昭和一二-二〇年八月)

 一般に,戦時中は犯罪の減少する傾向が認められる。これは,第一次世界大戦以来ひろく認められている原則である。その原因としては,(1)戦時中は青年その他もっとも罪を犯す危険性の大きい若年の男子の多数が軍隊に召集されること,(2)失業がほとんどなくなること,(3)あらゆる面に国家的の統制が加えられ,享楽の追及は抑圧され,国家意識と道義を高める政策がとられることが,もっとも有力であると考えられる。わが陸海軍兵力の合計は,昭和一二年の一〇八万から漸増し,同一五年一五七万,同一六年二四〇万,同一七年二八一万,同一八年三三八万から同一九年は五〇四万に達した(各年一〇月一日現在,厚生省第一復員局推計)。他方,物資の不足,警察官の応召による警察力の低下など,犯罪を増加させる要素も多数あり,戦時中の犯罪現象についても,なお,検討すべき点が多い。

(4) 戦後の混乱期(昭和二〇年八月-二三年)

 昭和二〇年八月の終戦から同二三年までを戦後の混乱期ということができる。とくに,終戦直後の昭和二〇年九月から約一年間はその混乱がはなはだしく,崩壊期ともいうべき時期であった。戦前の政治的,社会的構造が崩壊するとともに,旧来の道義観念も根底から動揺し,これにかわる新秩序はまだ確立されなかった。しかも,政府は終戦と同時に軍需品製造会社に対する政府の債務について,戦時中の軍事予算のうちから巨額の支払いをするなどの財政政策をとったため,通貨は急激に増加して,国内にははげしいインフレーションがおこり,このインフレは急速に進行した。昭和二〇年末から同二一年にかけて,国民の多数はもっとも深刻な食糧不足に直面し,昭和二一年二月には全国的の主要食糧の遅配を生じた。政府も二月にはインフレの進行をとめ,経済の再建をはかるため,通貨の切り換えなどの総合対策を実施したが,所期の効果をあげることはできなかった。ただ四月以降,輸入食糧の放出によって食糧の不足はある程度緩和され,五月にはガリオア基金が設置されて物資が供給されるようになり,八月ごろから敗戦による崩壊的な混乱はしだいにおさまりはじめた。しかし,このあいだにもインフレは進行をつづけ,国民の窮乏した生活は基本的には改善されなかった。しかも,一方にはインフレの進行と警察力の低下を利用して,ヤミ物資によって巨額の利益を得る者もあり,犯罪を増加させるあらゆる経済的,社会的条件が備わっていた。政府は,昭和二二年一二月から,石炭,鉄鋼の超重点生産を軸とした経済再建計画を実施したが成果はあがらず,昭和二二年にインフレはさらに進行し,依然として国民のくるしい生活がつづいた。しかし,昭和二三年に入ると,国内における産業の再建もようやく緒につき,石炭の増産と連合国の対日援助増加などもあって,鉱工業の生産は増加して,戦前の基準で五〇パーセントをこえる水準に達し,農産物もある程度に増加して,猛烈であったインフレーションの進行も鈍化しはじめた。賃金も上昇して,労働者の生活もやや安定した。
 犯罪の発生と検挙に対しては,警察力の変動の影響はきわめて大きいが,戦時中まで絶大な権力を保持し,国民の生活の多くの面に非常に大きな力をもっていたわが国の警察は,敗戦後の占領軍の政策によってつぎつぎと権力を失っていった。権力が大きかっただけに,これを失ったことによる打撃もはなはだしかった。この時期に犯罪の検挙力が極度に低下したことは明白である。戦後,各都市に発生したヤミ市では,経済統制法規違反の物資が公然と販売されていただけではなく,賍品も多数取引きされていた。昭和二〇年の末から同二一年前半まで,警察や検挙能力は最低の状態にあった。国民の警察に対する信用も極度に低下し,序説に述べた種々の原因から未届事件も増加して,犯罪発生統計の暗数は,激増したものと考えられる。昭和二二年に入って,警察もしだいに立ちなおろうとしているとき,五月から新憲法の施行にもとづいて刑訴応急措置法が施行された。その結果,身柄の逮捕,拘束期間などに大きな制限をうけることとなり,警察の検挙能率はふたたび低下した。窃盗,全刑法犯などの月別検挙率の統計は,この法律の施行された同年五月を境として大きく下降している。同年一年間の刑法犯の検挙率も,前年の五八パーセントからさらに五〇パーセントと低下している。経済的条件をはじめその他の条件は良好となり,社会秩序はある程度回復したので,犯罪の発生数がある程度少なくなったものと認められるが,少なくとも検挙率にみるほど低下したとは考えられない。昭和二三年三月からは,占領軍意思にもとづいて新しい地方分権的の警察法が施行され,全国に合計千六百余の自治体警察ができて,警察の機構は根底からあらためられた。警察の組織は分断され,この面から犯罪検挙の能率の低下した部分はあったが,同年から警察官の定員は三割余増加しているので(昭和二二年の九三,九三五人から昭和二三年の一二五,〇〇人へ),全体的には能率は向上していると考えられる。
 この期において,犯罪とくに財産犯罪が激増したことは,前記の刑法犯一審有罪人員の統計,とくに単純賭博を除いたものおよび後記の財産犯罪の傾向によってうかがうことができる。ただ,未検挙事件が増加しているので,実際はこの統計の示す以上に増加したものと考えられる。したがって,暗数の少ない強盗のような犯罪のほうが,激増の状況をみるにはさらに適していると考えられるが,この時期に強盗が急激な増加をみせたことは,後記I-9図のとおりである。
 なお,昭和二三年は,前記のとおり経済状態はしだいに良好となり,一般国民の生活は向上した年であるが,それにもかかわらず,統計面では犯罪は増加して同年が戦後の最高をなしている。有罪人員についても,同様である。しかし,実際の犯罪が同年を頂点として山をなしていたとは考えられない。むしろ,昭和二一年と同二二年とにおいて犯罪の発生は最高であったが,警察の検挙力がいちじるしく低下し,他の原因も加わって,暗数が激増していたために,統計面では発生件数は最高とならず,その影響で,一審有罪人員も最高とならなかったと考えられる。

(5) 回復期(昭和二四-二九年)

 昭和二四年からは,いわゆるドッジ・ラインによる経済安定計画が実施され,インフレは完全に収束して経済は安定した。しかし,それはかなり徹底したデフレーション政策であったから,昭和二四年には一種の安定恐慌的な現象を呈し,巨額の滞貨を生じて生産は停滞し,多数の倒産を生じて失業者も増加した。この不況は,昭和二五年に入っても改善されなかったが,同年六月に朝鮮事変がおこり,これにともなう特需ブームにより,巨額の滞貨はたちまち一掃されて好況となった。この特需は,朝鮮における戦争がいちおう休戦となったのちも,主として朝鮮と日本における軍隊の軍需品の注文のかたちで「新特需」としてのこり,結局,約三年間,わが国の経済に大きな恩恵をあたえた。国内の産業の規模は拡大され,労働者の賃金は一般に増加し,農家経済の改善もいちじるしく,国民一般の生活の向上をもたらした。一人あたりの実質国民所得は,昭和二四年の一四四円から昭和二七年の一九四円(昭和九-一一年が基準)へと増加している。特需の終了後,昭和二八年の下半期には景気は後退し,翌二九年にかけては不況となったが,さまで深刻ではなく,わが国の経済の発展が一時停滞した程度であった。昭和二九年には,国民の消費水準も,食糧,光熱を中心として,ほぼ戦前の水準までもどった。家計全体としては依然として戦前の水準には達していないが,昭和二四年から同二九年までに,敗戦の被害の相当に大きな部分が回復されたということができる。
 警察の検挙力は,経済状態が安定するにつれて,しだいに回復した。しかし,多数の自治体警察に分断された制度は,種々の面で検挙の能率を阻害し,とくに,小さな自治体警察の能率は上らなかった。そこで,住民の意思によってこれを廃止して国家地方警察に編入することのできる措置がとられ,約一,六〇〇をかぞえた自治体警察も,昭和二八年四月には四〇〇余に整理された。しかし,これでもなお,分立の弊害を十分に是正できなかったため,昭和二九年に占領中に設けられた制度を全面的に改正して,警察の組織と運営との一元化を期する立法措置がとられ,同年七月から,一部の例外を除いて一元的な警察制度が発足した。このように,警察の組織面からの欠点はしだいに是正されたが,警察の活動を規制した刑訴応急措置法の規定は,大部分が新憲法にもとづくものであったため,昭和二四年から施行された刑事訴訟法にひきつがれた。すなわち,この面からの制約は,民主主義国家としての当然の事態とされて,つづけられたのである。
 財産犯罪は,この時期には全般的に減少し,その結果,刑法犯の有罪人員は低下して,良好な傾向をみせた。全刑法犯の発生では,昭和二四年は,前年とほぼおなじ高い水準を維持して,デフレの影響もあらわれていると考えられるが,質的には前年までとは比較にならず,この点は,有罪人員の大幅の減少に明白にあらわれている。個別的にみると,発生件数においても,もっとも暗数の少ない強盗は,減少している。詐欺と横領の発生は増加しているが,しだいに治安が回復して,比較的治安との関係の薄い犯罪に検挙の手がおよんでいるのを示すものと考えられる。昭和二五年から同二八年まで財産犯罪は減少して,かなり経済状態の好転と対応する結果があらわれている。他方,前期まで戦前の水準以下にあった傷害は,この期に激増して戦前以上となり,暴行,脅迫などの暴力犯罪もおなじような傾向をみせたことは,おって説明するとおりである。

(6) 現段階(昭和三〇-三四年)

 昭和三〇年には,わが国の経済は,好景気に恵まれて発展した。輸出は増加し,工業は前年に比し約一二パーセントの増産で,農産物は一九パーセントの増収となり,家計一般の消費水準も上昇し,大体において,日本人全体の経済生活が戦前の程度に回復した。日本経済はその復興の目標点にほぼ到達したのであって,戦争の直接の影響ときりはなして日本経済を考察することができるようになった。この好景気は翌三一年にもつづいたが,翌々三二年に入ってから連月国際収支の赤字が累積したため,同年五月から金融引締政策が実施された。そして,これを契機として,景気は急激に後退して不況の様相をみせるにいたり,この不況は,昭和三三年の上半期までつづいた。しかし,この不況の社会的影響は比較的軽微で,倒産や失業者などもさまで増加しなかった。農産物の豊作がつづいているため,農家は不況の影響をほとんどうけず,全体的には,国民の生活にさほど大きな悪影響をあたえなかった。ただ,生活必需物資の値上りがあり,低所得世帯の収入の伸びは低かったので,これらの世帯は,収入と物価との両面から家計に圧迫をうけ,所得階層差はひろがった。
 不況当初の昭和三二年の下半期には,鉱工業生産は低下したが,翌三三年三月を底として上昇に転じた。しかし,その後も,大部分の業種の需給は好転せず,卸売物価は下落して,景気は回復しなかったが,秋に入ると,主要な業種の需給は好転して物価もしだいに回復し,年末までに景気はほぼ回復した。そして,昭和三四年に入ると,景気は上昇して好況に転じた。ただ,石炭と海運の部門は,不況の影響も深刻で,その後もおおむね不況の状態をぬけでることができなかった。
 昭和三三年の農業生産は,前年よりも上昇し,過去の最高である昭和三〇年を上回る記録的な高水準となった。その影響もあって,昭和三三年の国民生活は,他の産業活動が停滞したにもかかわらず,その影響は軽微で,平均的には,昭和二九年度以降もっとも消費生活の向上をみた。その結果,衣食の点では戦前をこえるにいたった。ただ,住の問題は,依然として根本的には解決されず,戦前の状態に復していない。また,もっとも所得の低い就業の不安定な層でも,かえって生活の悪化をきたし,生活保護層への転落者が増加しているのも注意を要する。
 昭和三〇年以降の右のような経済状態にもかかわらず,犯罪は逆に増加している。有罪人員の曲線は賃金指数がさらに上昇したにもかかわらず,上昇をつづけた。全刑法犯の発生件数も漸増の傾向をみせ,一四才未満者のみによる触法行為をも加えた件数は,昭和三二,三三年には一五〇万件をこえ,同年までの戦後最高であった昭和二三,二四年につぐ高い水準に達している。そして,昭和三四年は好景気だったのに,昭和三三年よりもさらに増加した。詐欺,横領,背任,文書偽造などの知能犯は減少したが,傷害,暴行,恐喝,強姦などの暴力犯罪の増加がいちじるしく,窃盗も減少していない。刑法犯の単純賭博を除いた有罪人員の率をみると,昭和三二,三三年には,戦前の約二倍半以上に達し,傷害は四倍,強姦は五倍と,暴力犯罪の増加率が高く,これらの点については,のちに詳細に検討したい。そこで,昭和三三年と昭和三四年とについて,主として統計的に,さらに具体的な犯罪状況をみよう。
 昭和三三年における犯罪現象の実態を明らかにするために,まず,警察統計の通常司法警察関係によって,主要罪名別に,発生,検挙関係の統計を掲げるとI-4表のとおりで,うち,刑法犯について発生件数の罪名別にグラフを作成すると,I-5図のとおりである。

I-4表 主要犯罪の発生と検挙(昭和33年)

I-5図 刑法犯の発生件数百分率(昭和33年)

 I-5図によって明らかなとおり,刑法犯においてもっとも多いのは窃盗で,全体の六九パーセントをしめ,これにつぐのは詐欺の七パーセントと傷害の五パーセントである。全体として,財産犯罪のしめる割合はきわめて高く,その合計は八〇パーセントに達している。
 I-5表は,検察庁関係の統計である。まず,検察庁新受人員中の刑法犯について罪名別の百分率を算出し,これをグラフにしてみると,I-6図のとおりである。発生件数についても,おなじように,窃盗がもっとも多いが,それでも三二パーセントにすぎず,その割合ははるかに低い。これは,窃盗については,同一人によって多数の事件が犯されているためと,未検挙事件が多いためである。これにつぐのは傷害で,一六パーセントをしめている。傷害は,財産罪にくらべて,同一人が多数を犯すことは少なく,未検挙事件も少ないため,発生件数に比し,そのしめる割合が高くなっている。さらに,それにつぐのが詐欺,暴行,恐喝などで,財産罪の合計は約五〇パーセントである。

I-5表 主要罪名別検察庁新受・処理人員(昭和33年)

I-6図 検察庁の刑法犯通常新受人員の百分率(昭和33年)

 検察庁では,取り調べのうえ,犯罪事実についての証拠が十分でないか,犯罪を構成しないと認めると,そのような理由で不起訴の処分をするが,犯罪事実があると認めても,犯人の性格,年齢,境遇,犯罪の軽重,情状などによって訴追を必要としないときは,「起訴猶予」として不起訴の処分をする。そして,訴追を必要とするものについて公訴を提起する。それらの各罪名別の数は,I-5表にみるとおりである。ただし,少年の事件では特別の手続がとられ,これについては,第四編で述べる。起訴された事件については,裁判所で審理したうえで有罪,無罪などの裁判を言い渡すのであって,その裁判の結果別の人員はI-6表記載のとおりである。裁判によって言い渡された刑が確定すれば執行されるが,刑のうち,懲役,禁錮または拘留の刑(実刑)は刑務所で執行され,執行終了前に仮出獄を許されたものは,保護観察に付される。保護観察は刑の執行猶予のさいに言い渡されることがあり,その他,家庭裁判所は,審判のうえ少年に対し少年院送致,保護観察に付するなどの決定を行なう。これらの点の詳細については,第二編以下にゆずる。

I-6表 裁判結果別人員(昭和33年)

 つぎに,昭和三四年における犯罪状況についてみると,まず,同年の警察統計については,統計書がまだ作成されていないが,警察庁の好意で知ることのできた統計によると,その概況はI-7表のとおりである。刑法犯発生件数の合計は一四八万件をこえ,前年に比し四万件弱増加しているが,罪名別の構成は,ほぼ前年とおなじである。(各罪名別の増減の状況については,第二章において各別に説明する)。昭和三四年における検察統計の年報による集計はまだ終了していないが,各月の月報を集計した結果はI-8表のとおりで,前年に比し,刑法犯は新受人員一万,起訴人員一万が増加した。

I-7表 犯罪発生件数と検挙件数・人員(昭和34年)

I-8表 検察庁の受理・処理人員(昭和34年)

 戦後の混乱期には激増し,その後減少していた刑法犯は,昭和二九年以降増加に転じていたが,以上の統計によって明らかなとおり,昭和三四年にも,昭和三三年に比し犯罪はさらに若干増加した。その結果,さきにものべたとおり,発生件数において,昭和三四年は,戦後最高であった昭和二三,二四年についで,第三位をしめるにいたった。罪種別では,近年,恐喝,傷害,暴行,強姦などの犯罪が増加していたが,昭和三四年も,これらの犯罪は,さらに増加するか,または,前年とおなじ程度の水準を維持している。その他,特別法犯においても,検挙人員は前年よりさらに三万増加して,二五四万人に達したが,その大部分は,道路交通取締関係の法令違反である。

(二) 罪種別の考察

 刑法犯について犯罪の種類別に精密な考察をするには,多量の資料と長時間の調査が必要なので,本項では,現在の段階におけるいちおうの概略の考察の結果を記載するにとどめる。以下,個人の法益関係,国家的法益関係,公共の法益関係の三つに分けて説明するが,もっとも重要な犯罪については,戦前からの統計について有責人口に対する率を算出したうえ,その推移についてグラフを掲げ,付録に統計表を添付した。しかし,さまで重要でないものは,実数のグラフとし,あるいは,グラフを省略して付録の統計表にとどめ,問題のない犯罪については,そのいずれも省略した。

(1) 個人の法益に関する犯罪

(イ) 財産犯罪
 窃盗,強盗,詐欺,恐喝,横領などの各罪について発生と一審有罪と起訴猶予との刑事有責人口に対する率を算出し(付録統計表-2345678910111213),そのおもなものについてグラフを作成した(I-7図8図9図10図11図12図)。窃盗については,従来実質賃金指数と対比する研究が行なわれているので,本編でも,両者を対比させた。

I-7図 窃盗の発生件数の率

I-8図 窃盗と実質賃金指数

I-9図 強盗の発生件数等の率

I-10図 強盗致死等の有罪人員の率

I-11図 詐欺・横領の一審有罪人員の率

I-12図 詐欺・横領の発生件数の率

 まず,I-7図で窃盗の発生件数についての率の動きをみると,戦前の昭和九年を頂点とする大きな山が認められる。おなじ傾向は,有罪人員に起訴猶予人員を加えたものについても認められるが,有罪人員のみでは山というよりも丘といった程度である。これは,犯罪もある程度増加したが,検挙が強化されて軽微な事件まで徹底的に検挙された結果,その大部分が起訴を猶予されたことを示すものであろう。戦後激増した最高も,発生の率では戦前の最高の一倍半程度であるが,有罪人員の率では三倍半をこえている。当時起訴に値する犯情の重い事件が激増したのであって,有罪人員の動きのほうが犯罪の実相に近いと考えられることは,前記のとおりである。
 賃金の曲線との関係は,戦前も昭和八年以降賃金の低下したさいに窃盗が増加している点について,ある程度の関連は認められるが,戦時中は,賃金が低下しても窃盗も減少して,両者の関係はなくなっている。戦後は,回復期まで多少のズレはあっても,ほぼ明白な対立関係が認められるが,その後の相関関係はいずれとも決し難い。ともあれ,最近の窃盗罪は,戦前平均の二倍程度の比較的高い水準にとどまっている。
 強盗は,暗数が少ないので,その統計が犯罪の実相をみるに適していることは前記のとおりであるが,昭和初年は,前半期から,大正時代に比し,高い水準にあった。後半期もさまで上昇せず,戦時中に低下して,戦後に激増した。まず,発生件数の率においても,戦後の混乱期の激増はおどろくべきもので,有罪人員の率では,それがさらに顕著である。回復期において減少したが,昭和三〇年から停滞し,結局昭和三二,三三年の有罪人員の率において,戦前平均の二倍弱程度からは下っていない。つぎに,強盗のうちいわゆる凶悪強盗に属する強盗傷人,強盗殺人,同致死,強盗強姦の動き(I-10図)をみると,強盗傷人の戦後の増加はとくに顕著である。しかも,回復期に減少の後,昭和二九,三〇年には増加しているのであって,昭和三三年は戦前平時平均の四倍である。強盗殺人は,昭和三三年は平時の一・五倍まで低下しているが,もっとも凶悪な犯罪だから,一・五倍でも,社会にあたえる影響は他の犯罪とは比較にならない。その他,戦後は予審制度が廃止されたなどで証拠の収集が困難となり,戦前なら強盗殺人未遂とされたほどのものが,戦後は単なる強盗傷人と認定されているのも少なくないと考えられる。また,戦前は,少年(一八才未満)でも凶悪強盗はほとんど起訴されたが,最近では,少年(二〇才未満)は,凶悪強盗でも,相当多数保護処分になっていることは,後記のとおりである。単純強盗では,保護処分となる割合は凶悪強盗より高い。したがって,有罪人員の統計についてはこれらの点も考慮する必要があり,実際の犯罪は,この統計にみる以上に増加していると考えられる。
 詐欺と横領とは,類似の傾向を示し,発生においては,戦前は,昭和九,一〇年まで激増してその後減少し,戦後には増加してはいるが,戦前よりもはるかに低い水準である。しかるに,有罪人員では,戦後の山のほうがはるかに大きく,昭和二六年以降は減少しても,依然として,戦前の山よりも,少しく高いか,おなじ程度である。両者を対比すると,戦前の山がやや異常ではないかと感ぜられる。恐喝も,戦前の発生の山が異常に高い点においてこれと共通なので,これらにつき,昭和四,九,一〇年発生の警察統計によって前年以前の事件などの数を掲げると,I-9表のとおりである。この表で明らかなとおり,詐欺と業務上横領とにおいては,昭和九年は四分の一から三分の一,昭和一〇年は半数近くが前年以前の事件で,当時とくに強力な検挙の行なわれた事実が認められる。恐喝も,昭和九年は約四分の一で,昭和一〇年は三分の一をこえ,いずれも昭和四年よりはるかに高い率をみせている。恐喝は,昭和一〇年に暴力団等の全国的な一斉検挙が行なわれたことが,事件数に大きな影響をあたえている。当時は,国粋主義,愛国主義を看板とする暴力団や,これらを売物にする恐喝などが多く,事件じたいも増加していたとも考えられるが,統計にあらわれている異常な増加は,明らかに強力な一斉検挙の結果である。恐喝は,被害者が後難を恐れて届出をしないことが少なくないため,検挙が困難で,統計に暗数が多く,この当時のような特殊の場合にのみ,徹底的な検挙が行なわれて発生件数の暗数も極度に減少すると考えられる。その他,詐欺,恐喝などの事件は,強盗,殺人などの凶悪犯に比して,治安を害する程度が軽いため,警察力にある程度の余裕がないと,徹底的な検挙が行なわれない傾向がある。

I-9表 詐欺・恐喝等前年以前の発生件数の比率(昭和4・9・10年)

I-13図 恐喝の一審有罪人員の率

I-14図 恐喝の発生件数等の率

 当時これらの犯罪の増加した事情は認められるが,とくに検挙が強化された結果,前年以前の事件も加わって,異常に高い数となったものともみられ。したがって,これをそのまま戦後の統計とくらべるのは正当でない。戦後は,当時のような強力な検挙は不可能で,発生の暗数が大幅に増加しているものと考えられる。したがって,戦後は,詐欺,横領は,少なくとも有罪人員の率の上昇に示されている程度には,実際の犯罪は増加したとみてよいであろう。
 恐喝は,このように戦前に異常に高い水準にあったが,昭和二二年には,有罪人員において戦前の通常の水準をこえ,翌二三年には,発生もこれをこえた。昭和二三年の有罪人員は戦前平均の二倍以上に達し,恐喝にはとくに未検挙事件の多いことを考慮に入れると,この時期には,これらの統計の示す以上に犯罪が激増したものと考えられる。しかも,発生件数も昭和二四年,二五年と増加し,その後,発生,有罪ともに減少したが,昭和二九年からは上昇に転じて,発生は昭和三四年まで増加しつづけている。有罪人員も,昭和三三年まで増加し,戦前平均の率に比し二倍半の水準にある。しかも,この二倍半は,戦後には不可能なほどの強力な検挙で増加した部分を含む戦前の統計との比較である。だから,戦後の未検挙事件の増加や後記のような多数の暴力団の存在などを考慮に加えると,実際の犯罪は,戦前の二倍よりもはるかに高い水準にあると考えられる。
 つぎに,賍物罪(I-15図)は,戦後の混乱期に激増し,のち減少したが,有罪人員は戦前とは比較にならないほど高い水準にあり,その有責人口に対する率でも,昭和三三年は,なお,戦前の三倍余で,実際の犯罪が激増しているのは明らかである。毀棄は,暴力的な性質をもつためか,最近の増加がいちじるしい。背任(I-16図)は,戦後は戦前の水準に達しないが,実際の犯罪が減少したとは考えられない。この犯罪は犯意の立証が困難なため,戦後は十分な検挙ができず,その発生も確認できないため,低い統計があらわれていると考えられる。

I-15図 賍物の一審有罪人員の率

I-16図 背任の一審有罪人員の率

 以上,財産犯罪は経済状態の好転とともに,戦後の混乱期に比較すれば,全体として減少している。しかし,最近は,むしろ増加の傾向があり,結局,有罪人員では,戦前平均の二倍前後の水準にあるものが大部分で,強盗傷人のごときは四倍に近いことは注意を要する。
 ここで,財産犯の被害について一言したい。これは,直接に財産を目的とする犯罪によるものと,結果的に財産上の被害をもたらすものとがあるが,ここでは,直接に財産を目的とするもののうち,強盗,恐喝,窃盗,詐欺および横領についてみよう。これら五つの財産犯による被害額は,昭和三三年には,約二四二億円にのぼり,毎日七,〇〇〇万円強,一件あたり約二万円強の被害である。つまり,毎日三,五〇〇人が平均二万円強の財産を財産犯罪のために失っていることになる(I-17図18図)。

I-17図 被害額と回復額(窃盗・強盗・恐喝・詐欺・横領)

I-18図 犯罪1件あたりの被害高

 このように,財産の被害額は年々増加しているが,物価指数を考慮に入れると,ほぼ横ばいの傾向といえよう。しかし,詳細にみてゆくと,国民生活の変化を反映したいくつかの特徴がある。たとえば,被害財物別に傾向をとりあげてみよう。国民生活の混乱した昭和二四年ごろには,もっとも被害高の多かったのは,生活必需物資たる被服類その他の織物であった。米穀その他食糧なども,最近にくらべると,はるかに多かった。また,罪種別にみても,発生一件あたりの被害高は,昭和二四年には強盗が一番多く,信用を背景とする横領,詐欺も強盗罪一件あたりの被害を下回っている。このことは,当時の窮乏した国民生活のもとでは,強盗のような手段に訴えなければ,多額の財物を得ることができなかったことを示している。
 昭和二五年は,財政引締政策が功を奏して,いちおうインフレーションが収束した時期である。そのため,国民生活は安定し,食糧および衣料事情はいちじるしく改善された。また,通貨に対する信用も高まった。この時期には,被服類やその他織物,米穀などの被害は急激に減少し,昭和二八,九年にかけて,いずれも昭和二四年当時の三〇パーセントないし五〇パーセント以下になっている。
 昭和二八,九年ごろには,犯罪の目的となった財物の内容も,生活必需物資から交換に有利なものに移行し,また,犯罪の方法も「手あたりしだい」から「一獲千金」をねらった高額の被害がふえ,職業的,常習的な手口に移行している。すなわち,国民生活の安定は,一方では偶発的,経済的な犯罪の漸減をもたらし,他方では,常習犯,精神異常ないし素質的な原因にもとづく犯罪を前面にひきだしてきた。このような時期にふえた被害財物は,通貨,車輌,有価証券,貴金属,機械などで,いずれも,昭和二四年にくらべると二倍ないし三倍に増加している。また,罪種別にみた一件あたり被害額は,強盗,恐喝,窃盗では横ばいであるが,信用を背景とする横領,詐欺については急激に上昇し,ことに,横領は,すでに昭和二九年において一件あたり九万円弱におよんでいる。これは,国民生活における信用経済の回復にともなう富の充実を反映したといえよう(I-18図)。
 昭和三〇年以降は,国民の経済生活の充実とともに,前述した傾向がさらに明瞭となっている。ことに,生活の充実,消費の拡大を反映して,車輌類の被害が急激に増加し,貴金属,有価証券,通貨等の被害も増加しつづけている(I-19図)。罪種別にみても,横領,詐欺による被害の増加が目だっている。ことに,横領は急激に増加し,一件あたりの被害額は,昭和三一年には一一万円,昭和三三年には一三万円と上昇している。一方,警察の取締能力の強化や検察陣の強化などを反映してか,恐喝,強盗の一件あたり被害額は徐々に減少しつつある。昭和三三年の資料では,窃盗では四,九〇〇円,恐喝では五,七二〇円であった。

I-19図 財物別の被害高

(ロ) 身体・生命に関する犯罪
 傷害,暴行,殺人,堕胎,遺棄(付録統計表-14151617181920)がこれで,いずれも財産犯罪とは異なる傾向をみせている。
 傷害(I-20図)は,戦前の平時には後半にある程度上昇しているのみで,さほど大きな変化はない。その後,戦時に大幅に減少し,戦後に激増しているが,元来,この犯罪は飲酒に密接な関係があるので,酒類一人あたり消費量の曲線と対比してみると,戦時中から現在までの段階では,明らかにこれと平行する関係のあることがわかる。財産犯罪のように戦後ただちに激増していないのは,食糧状態が不良で,体力が回復せず,酒類も欠乏していたためと考えられる。戦後の増加は一審有罪人員の率において顕著で,昭和二四年にすでに戦前の最高をこえ,その後,ほとんど毎年急激に上昇して,昭和三三年には,戦前平均の四倍余に達している。傷害のうち,傷害致死(I-21図)は,戦後の混乱期に激増したのち減少し,昭和二五年から増加に転じているが,昭和三三年も,戦前平均と同程度である。

I-20図 傷害の一審有罪人員の率等と酒類消費量

I-21図 傷害致死の一審有罪人員の率等

 暴行(I-22図)も,戦後に激増し,傷害と類似の曲線をえがいているが,昭和二二年と同二三年との差がいちじるしい。これは,昭和二二年一一月一五日から施行された刑法の一部改正によって,従来親告罪として処罰に被害者の告訴が必要であったのが,非親告罪にあらためられたためである。したがって,戦前の統計と戦後のそれとをそのまま比較することはできないが,最近激増している傾向は顕著である。

I-22図 暴行の発生件数等の率

 これらの犯罪が,戦後の荒廃した感情生活によって一時的に増加したにすぎないのであれば問題はないが,一般の秩序が回復しても,なお増加しつづけているのは,もっとも注意を要する点である。
 殺人(I-23図)は,発生件数と有罪人員とを通じ昭和初年には一進一退で,戦時中は減少し,戦後増加に転じた。ただし,戦前の水準はこえず,最近も,大きな変化はない。戦後の発生件数も,この罪は暗数がきわめて少ないとおもわれる。戦後に,現行刑事訴訟法の施行後は以前に比し殺意の立証が困難となり,戦前なら殺人とされたのが障害致死の有罪判決をうけているものも相当数あろう。

I-23図 殺人の発生件数等の率

 堕胎は,戦時に減少し,戦後には,一時増加したが,まもなく減少して,明白な減少傾向を示している。しかし,実際の犯罪は減少したわけでなく,戦後のわが国の人口過剰などから検挙がきわめてゆるやかになったためである。遺棄も,戦後にある程度は増加したが,最近は減少している。これは,最近の経済状態の好転で国民に余裕ができて,実数が減ったものと考えられる。
(ハ) 自由・名誉・信用に関する犯罪
 まず,自由に関する犯罪として,脅迫,逮捕,監禁,住居侵入,略取,誘拐など(付録統計表-25262728)がある。
 脅迫(I-24図)は,傷害と共通の性質をもつため,その動きにおいてもこれと類似し,戦時に減少したのち,戦後しだいに増加し,最近においてその傾向がいちじるしい。そして,昭和三三年の有罪人員の率は,戦前平均の三倍半をこえている。

I-24図 脅迫の発生件数等の率

 逮捕,監禁も,脅迫と類似の性質をもつが,特殊の性質の犯罪だから,絶対数は,はるかに少ない。戦後,一時は増加したが,ひきつづいて増加する傾向はなく,最近は,むしろ減少している。戦後の混乱期には,実際の犯罪は統計の示す以上に増加したものと考えられるが,最近では,未検挙の事件が多数あるかどうか疑問である。
 略取,誘拐は,統計面では,戦後は戦前よりも減少している。誘拐とくに売春婦とするための営利誘拐が戦後に増加したことは明白であると考えられるが,その検挙と処罰とが困難であることと,職業安定法(昭和二二年法律一四一号)によってもそのような行為を処罰できることの多いためか,刑法の誘拐罪としては,検挙または処罰されることが少なくなった(職業安定法違反の関係については,本編第二章二参照)。

I-25図 信用毀損・業務妨害の一審有罪人員

(2) 国家的法益に関する犯罪

 通常比較的多く発生するのは,公務執行妨害,贈収賄,職権濫用,偽証など(付録統計表-313233)の犯罪である。
 まず,公務執行妨害の動き(I-26図)をみると,戦後の混乱期から回復期にかけて,戦前の最高の二倍以上に増加していることがわかる。戦前の官吏は国民から一般に敬意をはらわれていたが,戦後は,一般国民および第三国人のあいだにこれを軽視し反抗する気風の生じたことが増加の主たる原因と考えられる。戦後の混乱のおさまったのちは減少しているが,戦前よりも高い水準を維持している。ただ,他の暴力犯罪のように増加する傾向はみられない。贈収賄および職権濫用については,のちに述べる。

I-26図 公務執行妨害の発生件数等の率

 逃走は,戦後の混乱期に増加し,その後,回復期にも比較的高い水準にあったが,最近には減少している。混乱期の増加は過剰拘禁と施設の不備とが原因で,回復にある程度の時日を要したものと考えられる。
 犯人蔵匿と証憑湮滅との戦後の発生件数はふえているが,有罪人員は増加していない。偽証は,発生件数,有罪人員ともに戦後大幅に減少している。しかし,これらの統計が犯罪の実相を示しているかどうかは疑問である。これらの犯罪はいずれも捜査が困難で,戦後は,これらの犯罪に捜査の手が十分におよんでいるとは考えられないからである。その他,国家的法益に関する犯罪としては,内乱,外患,国交などに関する罪があるが,戦前から最近までほとんど発生していないので,説明をはぶく。

(3) 公共の法益に関する犯罪

(イ) 放火その他の公共の平静に関する犯罪
 放火,失火,騒擾,往来妨害など(付録統計表-36372122)の犯罪がある。
 放火(I-27図)について,明治以来の一審有罪人員の動きをみると,昭和初年には増加し,とくに,昭和六年から昭和一〇年までのあいだは,明治以来の最高水準である。当時の放火は保険金詐取を目的とするものが中心をなし,昭和二年から昭和六年までの不況期から軍需インフレの進行しはじめた当初に多いと考えられる。なお,放火は,捜査と予審および公判の審理に時日を要するので,犯罪発生から裁判まで通常一年から二年かかったとみなければならない。その後,戦時中は減少したが,戦後の混乱期にも戦時中よりもさらに減少した。戦災で多数の家屋が焼失し犯罪の目的物が減少したことと,インフレの進行のため,火して保険金を詐取しても利益の少ない場合が多かったなどによって現実の犯罪が減少したことが,その主たる原因と考えられる。他方,警察の検挙力の低下によって暗数の増加した部分のあることも無視できない。当時においても,粗悪なバラックと売れなくなった商品とに相当の保険金をかけ,これに放火して保険金を詐取すれば十分に利益があったので,東京にも保険金詐取を目的とした放火だと噂された火災も少なくなかった。しかし,放火の捜査は,元来きわめて困難なため,放火であることの確認できる事例は少なかった。

I-27図 放火の発生件数等の率

 その後,インフレーションの収束により保険金詐取を目的とする放火は増加し,それらの事件も検挙されるようになった結果,事件もある程度増加した。しかし,最近には,発生は減少に転じ,発生件数,有罪人員ともに,戦前よりもはるかに低い水準にある。だが,これらの統計が,かならずしも犯罪の実相を示すものとは考えられない。
 失火(I-28図)も,放火と類似の傾向をたどるが,最近における有罪人員は増加している。これも捜査の困難な犯罪で,戦前にくらべ戦後は捜査力が低下しているから,実際の犯罪は,この統計の示すところよりも多いと推定される。

I-28図 失火の発生件数等の率

 騒擾は,戦前,戦後ともに事件数じたいは少ないが,戦後には,規模の大きい本格的なものがふえている。有罪人員は戦前が多いが,規模その他では,戦後とは比較にならないほど犯情の軽いものが多い。したがって,全般の状況は戦前のほうが良好ということができる。
 公共の平静に関するその他の犯罪では,溢水,水利に関する罪は戦後に減少しているが,往来を妨害する罪は,戦後の昭和二四年から増加しているのが注目される。
(ロ) 性的犯罪その他風俗に関する犯罪
 性的犯罪には,強姦や強制猥褻など(付録統計表-2324)がある。これらの犯罪は,昭和初年,とくにその後半には,大正年代にくらべていちじるしく増加していた。当時,すでに,かなり性道徳はみだれ,たい廃的な空気のながれていたのによると考えられるが,戦後の激増は,戦前とは比較にならない程度になった。その代表的なものが強姦(I-29図)で,戦後の昭和二三年にはすでに戦前の水準を突破し,その後,ほぼ毎年増加しつづけ,とくに最近の増加はいちじるしく,有罪数は,昭和三二年は,戦前平均の三倍,昭和三三年には,じつに五倍強である。

I-29図 強姦の発生件数等の率

 強制猥褻(I-30図)も,ほぼおなじ動きをみせている。戦争直後は,戦時中の抑圧に対する反動としての性の解放,低俗で挑発的な印刷物や映画などを原因として,この種の犯罪は増加したものと考えられる。昭和二一年と同二二年とても,実際の犯罪がこの統計に示されている程度とは考えられない。しかも,戦後の混乱から回復したのちにもなお増加しているところに,大きな問題がある。そして,この増加には少年のしめる役割が大きいが,これについては第四編にゆずる。

I-30図 強制猥褻の一審有罪人員の率

 その他の風俗に関する犯罪の代表的なものは,賭博(I-31図)で,その大部分は,単純賭博である。賭博は,発生件数も有罪人員も,昭和二年から昭和七年までは一進一退であるが,昭和八年からは増加し,昭和一一年まで高い水準が保たれている。昭和七年からは軍需インフレの恩恵に浴している者による犯罪が増加したと考えられるが,警察の一般刑事事件や暴力団関係事件の検挙強化にともない,通常以上に厳格な検挙により増加をみた部分もあろう。

I-31図 賭博の発生件数等の率

 戦時中は減少したが,昭和一五,一六年と昭和一八年とには増加し,戦後は,戦時中よりも減少している。しかし,戦後の混乱期には,実際の犯罪が減少したわけではない。インフレの進行と警察力の低下とのため,当時,賭博のふえたのは明白である。ただ,他の重要な犯罪の検挙におわれて,これを検挙するだけの警察力の余裕がなかったため,犯情の重いものなどの一部のみを検挙したにすぎなかった。そして,昭和二二,二三年には増加したが,その後は急速に低下して,明治以来かつてない最低の水準におちた。前記のとおり,戦後は,競輪,パチンコなど多くの公認された賭博類似の娯楽ができたため,戦前にくらべて賭博は減少したとおもわれるが,統計の示すほどに激減したとは考えられない。
(ハ) その他の犯罪
 まず,公共の信用に関する罪として,通貨,文書,有価証券および印章の各偽造罪(付録統計表-41424344)がある。これらは,いずれも戦時に減少し,その後ある程度は増加したが,有価証券偽造関係の有罪人員が,最近に戦前以上に増加しているのを除き,一般に戦前よりも低い水準にある。通貨偽造は,すでに戦前から少なかったが,ただ,昭和二一年に発生件数が大幅に上昇して,その後減少に転じ,有罪人員は昭和二一,二二年のみが高い水準にある。しかも,有罪人員は昭和初年以来の最高である。これは,昭和二一年二月の新円切換えにあたり一時的に貨幣の価値がでたために,通常の偽造の犯罪がふえたように考えられがちだが,実際は,当時新円の代用となる旧円に貼付するために発行された証紙を不正に使用した犯罪がほとんど全部と考えられる。当時,正当に交付された証紙のほかに,他からもらいうけるなどの方法で入手した証紙を旧円に貼付して使用したものが相当多数あり,その一部が通貨偽造として検挙され処罰されたもので,通常の偽造とはくらべものにならない軽微な性質のものにすぎない。
 つぎに,公衆の衛生に関する犯罪として,阿片煙に関する罪と飲料水に関する罪とがある。前者については,戦後,別に麻薬取締法が制定されたが,これについては本編の第二章にゆずる。後者は,戦前戦後を通じて件数も少なく,これという特色もない。